関わる人を選ぶ権利がある
あなたは我慢していないか。
何かと理由をつけて人間関係においても
あえて苦しい選択をしていないか
合わない人とはちゃんと合わないからと距離を置いているか。
人生に置いて我慢は必要と言われるが、私は必要な我慢と不必要な我慢があると思う。
必要な我慢とはなにか
「自分への過度な欲求」
食べたい、眠たい、欲しい、怒りたい
(時と場合にはよるが、基本的に多少我慢する必要があるものだと思う)
そして、不必要な我慢とは
「人間関係の我慢」
これは誰かを嫌えという話ではなく、
苦手な人との距離の取り方を間違えていないか
ということなのだ。
誰かのことが嫌いだからと言って、その人を傷つけていいわけでもなく、その人を陥れていい訳でも無い。
ただ、距離を置けばいいのだ。
…できている人からすれば簡単なことだろう。
しかし、これができない人ももちろん居るのだ。
基本的に距離を置くのが苦手な人は
真面目で
優しい
そして
自尊心が低い人に多いのではないかと思う。
(あらゆる物事を苦しく辛く耐え難く感じる殆どの人は真面目で優しくて自尊心が低い人のように思う。詳しい事は後日記事にする)
自尊心が低い人と言うのは、世間体を気にしてしまったり
誰かからの評価を極端に恐れるのだ。
誰に限らず、「嫌われる」ということが何よりも辛い。
初めて会った人から幼なじみ、恋人までいつも嫌われないか相手の顔色を伺いながら過ごしているのだ。
自尊心が低いことは何事においても致命的だが、自尊心が低い事に+してしまうとまずいモノがある。
それが、優しさと真面目さだ。
真面目だから優しい、という形もあるのかもしれない。
小さい頃から教わる
「自分がされて嫌な事は他人にしてはいけません」
「誰とでも仲良くしましょう」
「困ってる人は助けましょう」
「全ての人に優しくしましょう」
これらの言葉を真面目に受け取ってしまう。
そして、そういう人間であらねばならない
と半ば洗脳状態に陥るのだ。
洗脳状態と言えば聞こえは悪いが、
それらの言葉が今の自分を苦しめる考えにはなっていないかもう一度、自分の心を見つめてほしい。
自尊心の低さに真面目が加わると
自分が嫌われるのが怖いから、誰も嫌いたくない。
嫌いな人を作ってはいけないから私にとって嫌いな人は居ない。
そんな自己暗示をかけてしまう事がある。
この考えはとてつもない毒だ。
この考えを続けると自分を殺してしまう。
自分の心、考え方を見つめ直して欲しい。
もっと自分を大切にしていいんだよ、と
自分を苦しめなくていいんだよ、と
私は今苦しんでる目の前のあなたに伝えたい。
そして、また落ちるかも分からない明日の自分にも伝えたい。
誰かの心に響いて欲しい。